命系占術 |
歴史 |
 |
唐末から宋の時代にかけての有名な仙人であった陳希夷が創始したと伝えられている。 |
始祖 |
 |
陳希夷 |
|
紫微斗数とは |
 |
太陰太陽暦をもとにした占術。主に生年月日時を基にして個人の特性や巡ってくる運勢を占う、いわゆる命占術の一つ 。 配置は異なっているが、西洋占星術のハウスと同じ概念の十二宮へ暦から算出される星を配置しその星の吉凶象意から占う。星の配置にあたっては、天体の実際の位置は考慮されない。 紫微斗数では多くの『星』を使用して占うが、それらの『星』は重要度を基準とした分類がなされている。重要度の高い『星』のほとんどが実在する天体に起源を持っていると考えて良く、実在する天体としての星と同じ名前を持っている。なお紫微斗数で使用する星の性格付けに商周革命で活躍する人物を使用する流派があった影響で、紫微斗数と封神演義に関連があるとする説を見かけることがあるが、『紫微斗数全書』には『封神演義』とのつながりを推測させる記述は一切ない。
|
沿革 |
 |
唐末から宋の時代にかけての有名な仙人であった陳希夷が創始したと伝えられている。紫微斗数の名前は、北極星(太一、天皇大帝)である紫微星を主とする星々から運命(=数)を量る枡(=斗)を意味している。中国や台湾ではよく知られており、子平(八字、四柱推命)と併用されることもある。英語圏でも知られるようになってきており、紫微斗数の読みそのままのZi Wei Dou Shuや紫微星をもじったPurple Star Astrologyと呼ばれている。
|
日本における
紫微斗数 |
 |
日本ではあまり知られていなかったが、最近は徐々に知られるようになって来ている。もっとも日本において第二次大戦以前から阿部泰山が紫微斗数の講習を行っており、これは香港や台湾における紫微斗数の流行に先駆けている。現代の紫微斗数は幾つかの流派に分かれているが、どれも明の嘉靖29年(1550年)に出版された『紫微斗数全書』を原典として、その上に各派独自の解釈を加えている。『紫微斗数全書』の著者である羅洪先は陳希夷18代の子孫を自称した。また一部には紫薇斗数の表記を採用している流派がある。ただし、北派紫微斗数、道蔵紫微斗数あるいは術天機太乙金井紫微斗数、十八飛星策天紫微斗数等と呼ばれる占術は、紫微斗数の名前を共有していても本項の紫微斗数とは全く異なる技術体系を持っている。そこで本項の紫微斗数を北派紫微斗数と区別するために、南派紫微斗数と呼ぶことがある。
|
|
|
|
|
|
|